巴塚 巴伝承と小林2022年06月08日 20:14

鳥見神社から駒形グラウンドを過ぎ、庚申塚いたる市道沿いの畑の中に巴塚と呼ばれている板碑があり、巴御前の墓とされている。板碑は下部が埋もれ傾いているが、「南無〇〇」と読める。

木曽義仲の愛妻で、武芸にも優れた巴御前は、鎌倉方との戦いで敗れたが、頼朝の有力御家人である和田義盛の庇護を受け、息子義秀(朝比奈義秀)は、小林城を築いた。小林の地名は、巴家族が住んでいた、鎌倉小林郷(鎌倉八幡宮一帯の古地名)からとったともいわれている。

その後、和田義盛、朝比奈義秀は北条との戦いに敗れ、憤死。義秀の3人の息子の内、長男と三男は、木曽に遁れ、次男は、高齢で長旅が困難な巴とともに、この地に土着したと伝えられている。

浅間山古墳2017年04月04日 09:05

本屋で立ち読みしていたら、「浅間山古墳」の文字が目に入った。どうも、隣町にある後期古墳時代の遺跡、龍角寺古墳群の中の1つとのことで、巨大な前方後円墳。近畿では、方墳に移行した時期で、前方後円墳としては最後のもののひとつとのこと。
ヤマト政権と関係のある、印波地方を治めた有力豪族のものらしい。

小林にも道作古墳群という遺跡があるが、この有力勢力と関係のある一族のものかもしれない。