巴塚 巴伝承と小林 ― 2022年06月08日 20:14
鳥見神社から駒形グラウンドを過ぎ、庚申塚いたる市道沿いの畑の中に巴塚と呼ばれている板碑があり、巴御前の墓とされている。板碑は下部が埋もれ傾いているが、「南無〇〇」と読める。
木曽義仲の愛妻で、武芸にも優れた巴御前は、鎌倉方との戦いで敗れたが、頼朝の有力御家人である和田義盛の庇護を受け、息子義秀(朝比奈義秀)は、小林城を築いた。小林の地名は、巴家族が住んでいた、鎌倉小林郷(鎌倉八幡宮一帯の古地名)からとったともいわれている。
その後、和田義盛、朝比奈義秀は北条との戦いに敗れ、憤死。義秀の3人の息子の内、長男と三男は、木曽に遁れ、次男は、高齢で長旅が困難な巴とともに、この地に土着したと伝えられている。
木曽義仲の愛妻で、武芸にも優れた巴御前は、鎌倉方との戦いで敗れたが、頼朝の有力御家人である和田義盛の庇護を受け、息子義秀(朝比奈義秀)は、小林城を築いた。小林の地名は、巴家族が住んでいた、鎌倉小林郷(鎌倉八幡宮一帯の古地名)からとったともいわれている。
その後、和田義盛、朝比奈義秀は北条との戦いに敗れ、憤死。義秀の3人の息子の内、長男と三男は、木曽に遁れ、次男は、高齢で長旅が困難な巴とともに、この地に土着したと伝えられている。
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