稲荷神社 創建に関わる伝承 ― 2022年05月29日 19:23
寿永三年(1184)、木曽義仲が源範頼・義経軍に敗れたのち、その妻、巴御前とその子たちは、和田義盛の庇護を受けるものの、和田義盛は、建暦三年(1213)和田合戦で戦死。巴御前は難を逃れて小林に隠棲、恋夫義仲が信仰していた稲荷様をこの地に祀ったと伝えられています。
小林村鏡によれば、朝比奈三郎義秀(巴の子)が小林城を築城したとあり、巴御前は義秀の根拠地である当地に遁れてきたものと思われます。近くには巴の墓といわれる「巴塚」があります。
小林村鏡によれば、朝比奈三郎義秀(巴の子)が小林城を築城したとあり、巴御前は義秀の根拠地である当地に遁れてきたものと思われます。近くには巴の墓といわれる「巴塚」があります。
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